経済学者の金子勝氏の講義を聴きに行った時の事です。
素晴らしい講義でした。
いつも乍らに、髪を振り乱して熱弁をふるっていました。
単位取得の為だけの理由で、聞きたくもない授業を受講しなければならないのとは違って、
金子氏の話を聞きたい人だけが、事前に申し込みをした上で、
平日の昼間に、わざわざ足を運んで受講する訳ですから、
集中して熱心に話を聞くのが当たり前の事だと思うのは、当たり前の事でしょう。
でも、それが当たり前ではなかったのです。
ふと周りを見ると、パソコンをいじくり乍ら、講義を聞いている若者が居たのです。
講義の内容を記録しているのかと思ったら、何か知らんが、書類みたいなものを作っているのです。
しかも、中にはイヤフォンで何か聴きつつ、作業をしている奴迄居ました。
もうここ迄来ると、何を求めてわざわざここに? ってな感じにしか見えませんでしたが、
本人にしてみたら、ここでそんな事をする意義があったのでしょう。
そいつ等の前に座っていたおっさんは、iPadでYahoo! ニュースなんぞ見ていました。
それでも一応、金子氏の話は聞いている様ではありました。
最後に質問迄していましたから。
一方、私といえば、周りの奴等に少々気を取られはしましたが、終いには鼻くそをほじる事も忘れ、
よだれが垂れているのにも気が付かない位、集中して話を聞いていましたので、
この世に、そんな奴が居たなんて、もうびっくりです。
私は、即座に「奴等は異常者である」と断定したのですが・・・
人と話をしている最中でも、会議中であっても、どんな時でもスマホを握りしめ、
電話がかかってきては断りもなく出、何の躊躇いもなくLINEの書き込みに返信をし、
Twitterの情報を見るのが日常茶飯事で、今、目の前で接している人に対して、
それが取り分け失礼な行為には当たらないし、
そもそも自分は、並行して違う事が出来るし、やるのがフツーだと思っているのなら、
「乍ら受講」も、同じ理屈で以って当たり前の事だと思っていても仕方がないのかもしれません。
第一、乍ら受講をしているなどと思ってもいないのではないでしょうか。
それが、常態化と言うものです。
そう考えれば、この不可思議な行動も、腑に落ちます。
腑に落ちはするが、やはり異常者だと、髪を振り乱して断定しておかないとなりません。
異常者によって社会通念が形成されてしまったら、それこそ大変な事です。
パンティーを冠ってでも、ネグリジェ姿になってでも、何としても阻止せねばな。
私が異常者と見なされてしまっては、たまらんからねぇ、まったく。
最後に一言、言わせて欲しい。
(ここ迄読んで下さったのだから、頑張って読んでネ)
今を大事にしない奴は、今じゃない時だって大事に出来る訳などないのです。
言い方が、今ひとつパッとしないので、何かちっとも心にグッと響いて来やしませんが、
我ながら、名言?! みたいかもしれなかったり?
相田みつを氏なら、上手い事言い倒した上に、あんな字で書くものだから、
皆、そうねそうね、今を大事に生きなくては、などと思ったりするのでしょうけれど、
私からは、「今を大事にしない奴は、地獄に落ちるでぇ! いや、落としたる!」
みたいな文言しか出て来ない・・・