コロナからなるべく距離を置く為に、もはや食糧を買いに行く事も止め、仕事以外の外出は極力少なくしています。
そんな訳で、窓から見える範囲でしか、実際に人々の行動を目にする事がほぼなくなりました。
シャバの世界を、塀越しに想像する囚人の世界。
思い出します…
過日、久し振りに街に出て、人の多さにびっくりしました。
緊急事態宣言の最中に山奥から街に出て来た仙人は、きっとこんな気分です。
家から仕事場迄、歩いて行ける様な距離ではありませんでしたので、仕方なしに電車に乗りました。
窓が開いていなくても、誰も気にしないご様子。
あれだけソーシャル・ディスタンスを取りましょうと言われていたのに、一心不乱に席取り。
他人と腕が密着する喜びに満ちた車内です。
良かったのは、皆マスクをして無言でスマホを無心にいじっていた事でした。
最寄り駅から仕事場迄1.5km。
バスもありますが、当然歩きです。
刑務所にも運動の時間があります。
電車の中でも猛暑の中の歩行中も、気が付けばヒトの観察をしていました。
(「かんさつ」と言うと、未だにまず「監察」が頭に浮かびます)
ヒトに対する仙人的物珍しさが手伝ったと言う事もありはしましたが、
それ以上に、勝手にそうなってしまったと言うのが正直なところです。
仙人が囚人になった様な生活を送る中、唯一の愉しみがアマプラで映画鑑賞となった私は、
ほぼ毎晩、寝る前に映画を観ては内容を忘れ、また観ては忘れの繰り返し。
アマプラならではの、大金を払って映画館で鑑賞する緊張感の欠落だと見ています。
しかも私の場合、ある特典によって1銭も払わずに加入している状況なのです。
金を払わないと、どうも真剣味に欠けてしまいます。
只で音楽なんぞ聴いていたらダメだと言う事です。
1曲10000円払う位の勢いが求められます。
それはさておき、
ジェイソン・ボーンのシリーズやら何やら、鉄砲ダダダダダダ!!!みたいなものを観過ぎた所為か?
私が出来るかどうかはともかくとして、
もし、物陰から敵が出て来たら、まず蹴りを入れてすかさず腹に一発!とか、
不意の襲撃に備えて、向こうから来る奴の様子をいつも伺っておくとか、
そんな気持ちの高ぶりついでに、ヒトの暮らしも目に入ってしまったと言う感じでした。
建物の入口辺りで煙草を吸っているヒトも、何人か見かけました。
室内で吸えなくなってからと言うものの、外の喫煙場所を利用する人が増えました。
連れションよろしく連れモクと言うのか知りませんが、
私が見かけた2組は、いずれも4人1組で車座——だと座っている事になるので車立——になっていました。
灰皿を囲むと自然とそう言う形になってしまうのか、車座民族なのか分かりませんが、囲炉裏端の座談会そのものです。
当然マクスを外して、顔を付き合わせて煙を吐き出し、ペチャクチャ楽しそうに話をしていました。
外だとは言え、あまりに無防備。
きっと、こう言う所からコロナ感染が広まっていくのだろうなと思いつつ、
炉端のヒトビトを横目に、チハル・ボーンは腹筋に力を入れ乍ら、息を止めてサッとすり抜けました。
でも、煙草の煙の力を舐めたらあかん、息など止めても無駄です。
あんな短時間で、しかも少し離れていたのに、マスクの中が完全に煙草臭くなっていました。
チハル・ボーンの素早いキックとパンチによって、ボーンの脳内であいつ等は完全にのされたのでした。