乳母車を押したお母さんが、左右を確認もせず、建物からパ〜っと道路に飛び出して来て、

歩行者にぶつかりそうになった姿なんぞ見ようもんなら、

アホか!あの糞ババア!何さらしてけつかんねん!! と言ったるのです。

心の中で。

(私の心に、口が付いていなくて幸いです)

でも、あの外人は違った。

実際に、乳母車にぶつかりそうになったのに、微笑んだんですよ!

ニヤニヤでもニタニタでもなく、ましてや睨みつける訳でもなく、微笑んだのです。

何故、微笑む事が可能なのだ?

もしかして、あの外人は、神経がイカれてるんじゃないのだろうか?

と思ったりもしたのですが、イカれてる様にも見えず。

もう、皆さんお気付きの様に、私は、すぐに文句を言いますが、

(連続性を重要視しているので、仕方ない・・・)

すぐに考えると言う素晴らしい面も持っています。

昔、パスカルは言いました。

「人間は、考える葦である」

歩き乍ら、外人の微笑みに関して、考察してこましたりましたよ。

私が、何故あの乳母車の奴を、糞ババア呼ばわりしたくなるかと言えば、

赤ちゃんに危険が及ぶ可能性を全く考慮していない無神経さと、

後から歩道に割り込んで来る分際なのにも拘らず、お邪魔します感もない傲慢さと、

他の歩行者の歩行の妨げになる可能性や、ぶつかって事故になる可能性を、

全く考慮していない浅はかさの、いわゆる3つの「さ」があるからなのです。

ここ迄の所で、何か文句ある方?

私は考えた。

もし、その無神経で傲慢で浅はかな女性を、慈悲の心を持って見たとすれば、風景が違って来はしないだろうか?

超合金の乳母車だから、ちょっとダンプが当たった位じゃ何ともないのかもしれないし、

そもそも強い赤ちゃんかもしれないじゃないか。

ぶつかりそうだったら、あなたが避けたって良いじゃないか。

公道は誰のもの? 黒木の為だけに存在する訳じゃないじゃないのだ。

公道と言う位だから、そうだ、皆のものじゃないか。

歩行の妨げ? 一体、誰に一番の歩行優先権があると言うのだ?

足の悪い人が居たら席を譲り、目が見えない人が居て彷徨っていたら、「どこに行くのか?」と声をかけ、

赤ちゃんを連れているお母さんが居れば、どうぞどうぞと道を開けるのは、当たり前ではないか。

そうです、きっとあの外人は、そう思う人だったのです。

彼は、大海の様に心が大きいのです、広いのです。

人生の余裕がなせる技なのかもしれません。

心にゆとり、余白があるのです。

余白と言うには、余りにも余り過ぎる。

もしかしたら、余白しかなくて、一体、どこからどこ迄が余白なのか、皆目見当がつかない位の余白。

原則的正義を振りかざす私の様な人間は、きっと余裕がないのです。

小さく狭いチンケな人間なのです。

(何、うなずいとんねん、このどアホ!)

右折専用車線で、信号が青になった事に気付かず、

ボケ〜っとアホ面こいて停止している運転手に向かって、

ブブ〜っ!ブブ〜っっっ!!ブブブブブ〜〜〜〜っっっ!!!!!!!!

なんて、彼はやらんのです。

待ち疲れて、赤と青の判断能力に衰えが生じたうっかりさん、そんな事、人間なら誰でもあるよね、と思うのです。

自動改札で、前の奴のスイカの残額が少なくて、ピンコン!

扉が閉じられてつっかえて前途を阻まれ、戻るに戻れず、

人波で隣りの改札にも移れず、行き場を失っている奴に、舌打ちなどせんのです。

チャージし忘れなど、皆ある事。

残額が、今いくらあるか?なぞ、神のみぞ知る領域。

エスカレータの歩行する為に空けてある方に、ボケ〜っと立っているおっさんが居て、

その後ろに人がぎょうさん詰まっていても、「Shit ! MOVE !! Fuckin’ asshole !!」などと絶対に言わず、

そもそも、エスカレータは、歩かずにじっとして乗るものなのですから、

何も生き急いでいるアホの為に、隙間なぞ空けておく必要などないのです。

目的地迄ごゆるりとどうぞ、と彼は言うのです。

これですよ、これ!

もう、鳥肌もんです。

こんな事を考えたので、一応報告しておきます。